2007年04月21日

音楽の「言語性」とは?(108)

ショスタコービチの「交響曲第5番」の一般的人気に最も良く貢献しているのがフィナーレである第4楽章であることは間違い無かろうが、際立って良く知られたこの音楽は、同じ作曲家の、明らかな「体制向き」のド明るい「機会音楽」の一つである、派手派手しい「祝典序曲」などと同じように、吹奏楽などにも編曲されて独立して演奏されることもある。
このような「用途」にも適した(と言っても「吹奏楽編曲」というのは、いささか節操のないものでもあるらしく、「ポピュラー名曲」の類は片っ端から採り上げられているようにも見える。とは言え、「交響曲」の楽章が取り出されて演奏されるのは珍しかろう。どうも選択のポイントは「金管の活躍度合」にあるらしく、おそらくは同様の理由で、矢代秋雄の「交響曲」の、やはり第4楽章であるフィナーレなども聴かれることがある。)
いずれにせよ、この楽章が突出したポピュラリティを得ているのは確かで、「終わりよければ全て良し」でも無いが、開始部からしばらく続くショウ・ピースじみた進行や(演奏によってはグリンカの「ルスランとリュドミーラ」序曲の親戚のようにも響く)コーダの盛大なコラールは、それまでの陰々滅々とした音楽から聴き手を一気に「開放」させ、躁状態に導く。
これは前述したようにベートーヴェン以来「第5交響曲」に「一般に求められてきたもの」にも合致しているようにも見え、実際以上にこのフィナーレを「そのようなもの」に見せて来たように思われる。初演時から人々はこれを「闘争と勝利」の表現であると信じて疑わず(「何に対するもの」であるかは別としても)、交響曲全体を「伝統に沿ったもの」として歓迎してきたのである。
内容の真偽について議論は尽きないとしても、それなりの価値のあるヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」の発表以来(これについては、ショスタコービチが自身の死後の「イメージ」を「保身」するために利用したのではないか、という意見があるらしいが、私はこれを完全に支持する。彼はこの行為によって、自己の作品に後から「付加価値」を与える事に成功した。実際には「書かれなかったもの」を存在するように見せ掛け、これによって己の作品の荒さ、詰めの甘さを「意味深さ」と錯覚させる「魔法」を使うことになったのである。)ショスタコービチの作品に取り沙汰されるようになった「裏の意味」だの「真の意図」だのは当然このフィナーレにも影響し、作曲者が「真の意味が解らない奴は馬鹿だ」と言ったとか言わないとかいうのも含め、これが「何を表現しているか」について疑問を抱かせ、特に「勝利」云々について考えさせることになった。
もっとも、この楽章については従前からムラヴィンスキー、コンドラシンのような旧ソヴィエト系の指揮者とバーンスタインに代表されるような「西側」における「解釈の違い」、特にテンポ設定の差による顕著な「印象の違い」が問題とされて来た所で、「意味」の差が生じるかはともかくも、意見を二分してきたのではあるが。(作曲者は、どうも後者の「快速テンポ」を想定していた、とも思える。前者らの「遅いテンポ」には、これを「大フィナーレ」に「拡大解釈」しようとする意図が見られ、このため実際にはさほど長く無いコーダを「肥大化」させるため、とりわけ楽章後半部からの極端な減速による「大クレッシエンド」を設定している。このために、前半部分では速いテンポを採るムラヴィンスキーなどの演奏ではアンバランスを生じるが、そこでは、この楽章が持っている不均衡な構成がより強調されることになる。また、後者のテンポも最初から指示よりも早く採られている。スコア上のメトロノーム表示は頻繁なテンポ変化を要求しているが、誤植もあるとされるものの、いささか無理な面があり、また、「流れ」の重視のためか、殆どの指揮者は「その通り」には演奏しないようである。)
主和音の強奏とティンパニの「d−a」の連打に続いて有名な第一主題が出るが、テンポ指示通りに演奏すればこれは「序」のようにも響き、弦による即興的な後続部分からが「本題」のようにも見える。(このあたりはいかにもピアノの無茶弾きを書き写したようにも見え、この交響曲でも最も書き方が「荒い」部分である。)前述通り、これらは冒頭楽章の速い部分、特に「行進曲」部分を「よりアクティヴにした」ような性格を持っているが、極めて解り易い主題自体には「元ネタ」の存在も感じられる所で、この「絶対に失敗出来ない」フィナーレでの「安全策」として「人好きのする旋律」をひねり出そうとした際に「参考」としたものは、どうもドヴォルザークの「新世界」(!)のフィナーレでは無かったか、という感じがする。旋律自体の構成要素(ミラシド、といった基本的な材料)だけでなく、後続部分や第二主題の表情性、そこにおけるトランペットの補充音形を聴くと、無論確証など無いものの、基本的な「ヒントを頂戴した」のではないか、という気がするのである。
さらに「ネタ」は「もう一つ」あり、こちらの方は間違い無く「確実」だと思われるのだが=マーラーの「第1」のフィナーレである。これは主題自体もかなり類似しているが(マーラーの第一主題の第三小節目以降にショスタコービチの主題と音形もリズムも一致したものが出て来る。以後の荒れ狂うような進行のキャラクターも類似している。)、それだけで無く、楽章の構造の共通性という点で「参考」という以上のものが見られる。
但し、マーラーのものは倍ほどの長さがあり、ショスタコービチが「省略したもの」の中には、主題提示までの長い序や、それだけで一部分を為すカンタービレな第二主題部、コーダの「予告」と、それに付随する=マーラーが「最も優れた部分」と呼んだ=長調からニ長調への「直接的移行」、第二主題の回想による「真のクライマックス」ともいうべき極めて印象的な部分など、この曲ならではの「天才的な個所」が複数含まれる。(もっとも、これらを真似したら「簡単にバレてしまう」が。)
ショスタコービチは第二主題を行進曲風のものに変えたが、(この主題冒頭は四度音程に基づいており、チャイコフスキー「第6」第3楽章の主題なども思い出させる。)その後の「自由な形式」は、マーラーの先例を明らかに踏襲しており、冒頭楽章の回想(しかし、それはこの部分の最初に出される「長ー短ー短」のリズムが「そう思わせる」ためで、実際には冒頭楽章の材料が直接的に用いられる個所は第一主題部に僅かに現れるだけである)、ここでは、すぐにマーラーの場合と同様の第二主題の材料による進行に移る。
しかしこれを長くは続けず、エピソード風となり、第3楽章の「民謡風主題」や、この楽章の第一主題に基づく旋律が「叙情的部分」を形成する。(この部分の最後で現れるいかにも「意味ありげな」「歌曲の引用」=「苦しみから解き放たれる」云の歌詞を持つ=は、確かに「額面通り受け取っても良い」ように思われるが、にも関わらず「たまたま同じフレーズが出て来てしまった」ので「引用してみた」可能性を、この作曲家の場合は除去出来ない。)
この後の「奇妙に勢いを削がれた」第一主題の再現は、コーダで同じ材料を使う以上「当然の措置」でもあるが、それ以上にマーラーにおける「先例に倣った」ものである。この後のコーダへの移行の仕方、コーダ自体の書法(金管主体、弦などの刻みの多用、打楽器、ユニゾンの使い方)もマーラー無しには考えられないようなものとなっており、ショスタコービチがいかに慎重に「踏み外さない」ようにしたか、が良く解る。
物議をかもすコーダは言うまでもなく第一主題の「長調形」と冒頭楽章の序の二番目に現れる順次音階下降を用いたモティーフを用いたものである。(これが短調に傾斜しているのを「問題視」する向きもあるが、同様の書き方である「第7」や「第12」の同様の部分の例を見ても解る通り、むしろ「癖」のようなもので、特に「意味を探る」には価しない。)このコーダにはマーラーと、マーラーが「第1」のコーダで「引用した」シューマンの「第3」のフィナーレのエコーが聴かれるが(それにマーラー「第3」のようなティンパニの「d−a」の連打で終わる。これは、ここではマーラーの「第1」「第3」ほどの重要な「中心音程」では無かったはずであるが。)、この意図的な「類似」は、聴衆を「安心させる」には充分であり、交響曲の「結び」として「疑問を抱かせる」恐れがない。
最近言われる「二重の意味」だの「強制された歓喜」だのは「後からかけられた魔法」の仕業であって、おそらくは「幻視」に過ぎないのである。
この「約束された成功作」は、作曲家が悪どいまでに張り巡らした「俗なる要素」と「踏襲」によって「成る可くして成った」のであって、その「一発必中」は、それらの「助け」を借りて行われたものである。皮肉なことに、人気のフィナーレが最も「他者への依存度」が高いのは述べた通りで、まだまだ「第5を書く」にしては若かった作曲家の「独自性」が「どのようなもの」であったか示している。作曲家がこれに不満なのは当然であって、さきの彼の発言が実際にあったとしたら、それは「自嘲的なもの」と考えるのが自然であろう。
そして彼は「第8」における、同様の構想の「焼き直し」で「真の意図による」フィナーレを書くことになる。それはまさに、これとは「正反対」のようなものである。(以降、次回。)
ラベル:音楽
posted by alban at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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