2007年02月03日

音楽の「言語性」とは?(97)

ショスタコービチを「マーラー以後の最大のシンフォニスト」とか言うのならまだしも(要するに「後の時代」では「交響曲」を創作の主体としていた作曲家など「他に殆ど居ない」訳だし。但し、ヴォーン・ウィリアムズを忘れてはいけない。彼にも「資格」はあるだろう。)、「マーラーと並ぶシンフォニスト」とかいう所まで「持ち上げる」ということになると、ディスクを出来るだけ多く売りたいレコード会社の「たちの悪い宣伝文句」か(これが売れるとなれば、とにかく曲数もあることだし)、「あんまり笑えない冗談」ということにでもなろう。
これは到底「比較にならない話」とも言え、「笑止千万」までは行かずとも、「見識を疑う」ようなもので、マーラーは、現在における彼の音楽の「重要度」や、そもそも作品群全体の「質」の高さにおいて、ショスタコービチのレヴェルを「遥かに超えて」おり、また将来、ショスタコービチの音楽が「レパートリー」としてマーラー同様の「地位」を得るようなことは、殆ど想像し難い。
無論、幾つかの曲は(「第5」以外の)現在より遥かに「良く演奏されるようにはなる」だろうが、マーラーやベートーヴェンのように「全ての曲が極めて良く演奏される」状態に至ることは、まず「期待出来ない」と思われる。
彼の作品リストには、作品の「質」と「出来具合」そのもの、そして不幸にも「交響曲」として「番号打ち」されているために、「全曲録音」とか「全曲演奏会」でも無ければ、まず、採り上げられないであろう作品が、幾つか含まれているのである。
既に述べたように、実際には「他のジャンル」に属するようなものがある上、(「番号無し」にするなど、いくらでも「回避手段」もあっただろうに。チャイコフスキーですら、「危険」と思えば単に「マンフレッド交響曲」と呼ぶような「扱い」をしている)、それらも含めて彼の交響曲は「作品群全体」としても「納得の行く」カーヴを為しておらず(必ずしも「上昇カーヴ」である必要は無いが)、ベートーヴェンやマーラーの持つような、「全体像」としての圧倒的な「感銘力」に欠けているのである。(もっともこれはブルックナーなどにも「持ち合わせがある」かどうか、怪しいものだが。但し、慎重な創作態度もあって、彼の場合は「露骨な失敗作」とか「首を傾げるような代物」は一切作らなかった。ハイドンは別格としても、シューベルトやドヴォルザークのような人も結局一つも「スカ」を出さなかったし、全体数を絞ったブラームス、それからシューマン、メンデルスゾーンなども、結果的に「作品リスト」としては「成功」した。「より近い時代」では、シベリウス、ニールセン、ルーセル、オネゲル、さきのヴォーン・ウィリアムズなどがいる。文句の無い「成功」はシベリウスだろうが、他の作曲家にも「駄作」は一つも無く、「傑作」が複数以上含まれる。マルティヌーはここに名を出すべきかどうか、迷う。さらに重要な一人と思われるのは、この間まで採り上げていた、プロコフィエフである。)
さて、ショスタコービチの場合は、順風満帆のスタートであった「1番」の後、いきなり「第2」「第3」という「脱線」があるが(これらをブラインドで聴かされて「交響曲」と答える人はおるまい。どこを探しても「ソナタ形式」も何も見当たらないのである。どちらも実験的、野心的で奇妙な作品だが、「カンタータの変形」と見なすのが妥当だろうか)、後期にも「11番」「12番」という同様な「脱線」があり(これらはいずれも実質的には「交響詩」と見なす方がふさわしかろう。「番号無し」で、R.シュトラウスばりに「革命交響曲」とか「レーニン交響曲」とか呼んだ方が良かったろうと思われる。「11番」は解り易さ故か、最近ともかくも演奏されるようだが、似たような趣向の「12番」は、弁護しようの無い「駄作」の定評が付きつつある)、何故か「作品表」の上で対称を成している。(いずれも同じ題材=「ロシア革命」によっているのが面白いが。)
そして「4番」は発表せず手元で暖められ(そのためか、練り込まれ、最も充実した多彩さを持っている。この曲の「意味深長さ」は他の作品で見られる事があるような「たまたま生じたもの」では無い。)、例の「第5」では無比の成功を収め(とは言え、他の作品の評価が高まるにつれ、相対的に「疑問符」が付けられないでもないが)ようやく「軌道に乗り」、独創的な「6番」の後、「戦争三部作」が続く訳なのだが、近頃評価の高い「8番」を除いては幾分「内容空疎」でもあり、人気のある「7番」は、題材の論議はともかくとしても、書法も内容も「隙だらけ」な挙げ句の「巨大」さ、「9番」は考えた末の「シンフォニエッタ」と言う訳だが(それだけに無駄無く引き締まってはいるが)、実際に「それらしい」のは両端楽章のみであり、さらに冒頭楽章と後続楽章の間で、スタイル上のバランスを欠いている。(この曲は昔より、むしろ聴かれなくなった感もある。)
「謎解き」の格好の題材である「10番」も「過大評価」の気味無しとはしない。前半と後半では「内容の不一致」が感じられ、そもそも作曲家自身「全体のバランス」について不備を認めているが、何故かカラヤンがこの曲だけを採り上げて二度も録音するなど、欠点をも含めて、「最もショスタコービチらしい面」を持っていることは確かなようである。(面白い事に、カラヤンよりずっと多くショスタコービチを指揮したバーンスタインは、これを録音していない。「1、5、6、9、14番」というのが=知る限りでは=録音があるはずだが、重要と思われる「8番」や、この「10番」、題材に「ユダヤ人問題」の絡む「13番」は分からないでも無いが、最も「マーラーに近い」とも思われる「4番」を取り上げていない。)
この後で「11、12番」が続くのには、やはり「どうにも解せない」面もあるが、最後の三曲の傑作はその疑問を補ってあまりあろう。(最後の「15番」に疑問を感じる向きもあろうが。)もっとも、これらのどれも「異形」であることは否めないのだが。(「13番」「14番」にせよ、それぞれ「カンタータ」、「歌曲集」的であるが、こちらの方は「交響曲」の呼称に違和感は少ない。いずれにせよ「マーラー無しには考えられない」作品だが、同時に「大地の歌」が「番号無し」であることも思い出させる。マーラーは次回作が「第9」の番号に該当していなかったとしたら、果たしてこれに「番号」を付けただろうか?)
こうして見ると、やはり「結構な内容」の「作品表」ではあるが、特に「2、3番」に「番号を付けた失策」は致命的であろう。内容的にも音楽的にも決して「価値が低い」というのでは無いにせよ、これらは作曲者の「自己満足」の度合いが高く、演奏者も聴き手も「報われない」曲である。こうしたものと「誰が見ても交響曲」というものを「並列化すること」自体が疑問を感じさせる。
また、「有名曲」でも、例えば「7番」を「傑作」呼ばわりするのには、バルトークで無くとも「願い下げ」という人も多かろうし、曲自体、「長い」といっても、マーラーのようには数多の聴衆を長時間引きつけてはいられない。
要するに、これらの「山」はいびつで、「高低差」があり(「面積」はともかくとしても)、「標高」も「最高峰」の類には、どれも足らないのである。(おそらく質的に「最も近い」のは「14番」、それから「13番」だろうが、しかし前述通りの「外見」を持っている点がやや「引っ掛かる」。)
もう一つの彼の「柱」である弦楽四重奏にしても同様で(もっともこれらは交響曲で言えば「5番」の後から書き始められており、彼の創作の「全期」を満たしている訳では無い。)、同じ「十五曲」といっても「全ての調性を網羅する」意図をもっていたせいか「書き急いだ」節もあり、さらに「薄い」面がある。(そのためには二十四曲書かねばならない。いくら速筆と言っても、難儀な数であろう。)
そのためか、内容も交響曲などの「二番煎じ」のようなものもあり、アイディアの「再利用」が多く見受けられる。(これに「ピアノ・ソナタ」群でも加われば、まるで「ベートーヴェン並み」であるが、「ピアノの名手」としても馴らした割にはピアノ曲自体は少なく、ソナタも協奏曲も二曲で、「フル・サイズ」と言えるのはソナタの二番目のものだけであって、「大作」としてはバッハに倣って書いた、例のグロテスクな「24の前奏曲とフーガ」位しか無い。)
しかしながら、ベートーヴェンに次ぐ「数」のためか、このジャンルの「古典派」以外の絶対的レパートリー不足のためもあってか、最近は重宝がられているようである。(しかし、とうの昔に「地位を獲得」しているバルトークの「六曲」の方が、将来に渡って「コア」であることは不変であろう。)
これらの作品は実に「繰り返しの羅列」ではあるが、晩年の非常に個人的な、精神的な内容となっており、そこに後のシュニトケあたりへとも引き継がれる「世界」が見え隠れしているのも確かで、独自の価値は認められよう。
(しかし、これとて他にもある室内楽作品との「内容的な重なり」が気になる所で、「同じ音楽を何度も聴かされる感じ」は、否めない。「類似性」を指摘する人も居るが、ベートーヴェン晩年の深みと広がりには程遠い。ここに強く感じられるのは絶望的な、「病的な状態」であるが、そのようなものが音楽として「記録されている」こと自体は、むしろ「奇跡」であるかも知れぬ。)
これらのショスタコービチの興味深い作品の中では、やはり馴染み深い「交響曲」について考えて見ようと思う。それこそ、「いつもの」、「お定まり」のコースではあるが。(以降、次回。)

タグ:音楽
posted by alban at 22:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/32761975

この記事へのトラックバック

アヴェ・マリア〜聖なる調べ
Excerpt: アヴェ・マリア。教会音楽の中でも一番有名。そのアヴェ・マリアがここに集結!!!教会音楽は誰もが思わず聞き惚れてしまう、そんな力を持っています。日本の童謡も、元を辿れば教会音楽から作られたと言われていま..
Weblog: みおのblog
Tracked: 2008-02-14 05:26
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。